【演奏篇⑥】森下元康&豊橋交響楽団のサウンド
〈上手くなるための練習であることはもちろんだが、練習自体が“苦しい楽しさ”に彩られるにはどうすればよいか。厳しい注意を逆に心待ちして、いつでも明るい解釈のできるオーケストラ。それが達成されてこそ、一人前の市民オーケストラになるのです。〉
アマチュアオーケストラは、常に危機と隣り合わせで活動を続けています。森下の活動も様々な危機と対峙することの連続でしたが、特に精神性の危機に陥ることを最も危惧していました。「高いレベルに至るには、人間は無傷では済まないのだ」という覚悟で、強固な精神性の基軸上にオーケストラのレベルアップが達成されることを目指しました。
森下はこうした警告を、練習の最初や終わりに言葉で伝え続けましたが、時には紙に印刷して渡すこともありました。 1988年の夏に団員に配布したこの文章は、豊橋交響楽団の存在そのものの本質を射抜いています。
『音楽監督からのお願い』
(1)あなた自身の責任分担について、今までのような任務遂行状態ではとても満足できる状態でありませんので、今一度、自分の責任分担、役割そのものについて再確認してください。
(2)あなた自身の演奏技術に関し、周囲の人々に多かれ少なかれ迷惑をかけていることは、あなた自身が知っていることでもあるし、しかたのないことですが、それをよいことに、自分自身の音楽的な勉強をおろそかにし、そのうえ豊橋交響楽団に対し何の貢献もせず、夢も理念もなく、いたずらに時を送っていませんか。
(3)あなた自身の人生観に関して、この地方文化活動としての豊橋交響楽団の位置付けがどのへんであるのか、もう一度問いただしてください。ただ単に、青春の想い出のためだけに多数の人々の汗を犠牲にはしていないでしょうか。またただ単に、仕事の骨休めや自身の慰撫のためだけの価値しか認めていないのではないでしょうか。
「私たちの夏は、汗にまみれ、自分自身と闘う夏でした。」
こうした揺るぎない精神性と、互いの信頼の上に存在した豊橋交響楽団だからこそ、独自のサウンドを創造できたのかもしれません。
ブロッホ:ヘブライ狂詩曲「シェロモ」
チェロ独奏:杉浦 薫
指揮:森下 元康
豊橋交響楽団
第35回定期公演(1984年10月14日)
今回の演奏は、師弟の協演です。チェロ独奏の杉浦 薫氏は、中学3年の夏に体操部からリード・オーケストラ部に転向し、チェロを始めました。驚くべきスピードで上達し、森下は付きっきりで指導しました。ある夜、音楽室でラーメンをすすりながら「お前が一人前になったら、いつかシェロモをやろうな。」と夢を語り合いました。
それから20年の歳月を経て実現したこの協演は、師弟の夢の結実です。そして仲間の豊橋交響楽団が全力で支えています。