【第7回】音楽論・藝術論・随想
〈私たちは自由に音楽というタイムトラベル可能の船で旅ができる。〉
私たちはたとえ技術は拙くとも、クラシック音楽の楽曲に触れるとき、その曲に対し心からの敬意と真摯な態度、そして歓びをもって演奏する。タイムマシンは無くともバロックや古典の時代に飛翔し、その時代の匂いをかぐことができる。しかし、ハーバート・リードはこう言っている。『数世紀後にはベートーヴェンは消滅しているであろう』と。ひとつの世紀末に立ち会った私たちのなすべきことは、単なる文化の伝承者であってはならない。ハーバート・リードの予言は的中するかもしれないが、人類の文化遺産がその時代にふさわしいかたちで人々の生活の精神的支柱の一本になり得るように努力を惜しまぬ気概を持ちたい。なぜなら絶望的な世相や環境、そして運命の中にあって、最も絶望的なのは、人の『心の世紀末的荒廃』なのだから。
〈1993年2月〉
アマチュアオーケストラの活動は、深く人生を観照するための用意、または手段の一部にすぎない。美しいものや力強いものには、それぞれの価値や魅力はあるが、さりとて自分の生きる道をすぐ教えてくれるものでもない。むしろ芸術や文化はそれに耽溺(たんでき)すればするほど全体が見えなくなってくる。
〈1987年10月〉
指揮者がオーケストラと対峙する時、一体何を支えに音楽を形作ろうとするのか。“指揮者はオーケストラにとって、果たして必要な存在なのか”という命題とともに、昔から人々を不審がらせてきた。もちろん、楽譜の通りに正確無比であることを唱えた指揮者は古今数知れないが、彼等とてその本音は、あくまで楽譜はひとつの目安であったと断じるのは早計であろうか。つまり、クラシックという海を航海するオーケストラという船は、時代という寄港地を経て旅を続けている。しかし、その航海では、時という潮流や、風というその時代の感覚が、同じように流れ同じように吹くはずがない。自身が、小賢(こざか)しい音楽知識や経験から解放されること、感じること、響くこと、自己の生を観照できること。このように指揮者が楽譜という檻(おり)に閉じ込められず、奔放(ほんぽう)に感性と意志をオーケストラと共に表現できないものか。
私たちは自由に音楽というタイムトラベル可能の船で旅ができる。音楽をみずみずしく自己のものにすることの至福。それはあたかも、何の変哲もないモザイク模様の中から、ちょっと視点を工夫するだけで、豪壮な城や優美な花が浮かび上がってくる3D映像のようなスリリングな発見であり、それと同じように楽譜の向こうには、非日常的なファンタスティックな世界が待ちうけていることを、ぜひ知ってほしい。指揮者の役目は、その扉までの案内役にすぎないのだ。
〈1993年11月〉
何かに向かって自分を厳しく修練していくこと、安易な楽しみや妥協の産物でないものを求めること、そして自分の精神や行為に常に厳しい眼を持つこと。そうすれば趣味と教養の差がいかに大きなものか感得できる。特別な才能や悟りがない凡俗の私たちでも、教養を身にまとうことはできる。
音楽との付き合いが長くなればなるほど、音楽の中に身を委ねることよりも、なぜ自分がかくも音楽に魅了されるのだろうかという不思議さが先に立つようになってきた。音楽技術の修練の成果として音楽が深く理解でき、高度な表現ができるようになるという通り相場が次第に信じられなくなっている。もちろん技術の修練や表現の感性の琢磨を否定するものではないが、何かおそろしく大きな見落としや勘違いがあるのではないかと畏怖するのだ。例えばヴィーコという18世紀のイタリアの哲学者は、「人は歩く以前に踊っていた」といい、ルソーは「人は最初、自らの力強い感情を現すために言葉を交わしていた。そして初期の人間社会では歌と話し言葉の区別はなかった。最初の言語は歌われていた」といっている。私たちはいつの間にか、本来あるべき自然な姿から次第に遠ざけられてはいまいか。音楽に対する憧憬の背後に潜む自然の響きを懐かしんでいる、一生命体としての人間。しかし私たちはその呼び声に気付かない。だから日常生活の言葉は「もはや何の叫びも響いてこない、忘れられ使い古された詩」なのだとハイデッガーが言っている。だから音楽が私を魅了してやまないのは、何かの警告ではあるまいかと時折怪しむのである。
冬の早い雲を見上げると、『ヴォカリース』や『詩曲』のエピソードが耳の奥をかすめ去る。今私が心で聴いているのは何なのだろう。ひとつだけ言えるのは、人は孤独の寂しさの代償として、よく見え、よく聞こえ、よく感じることができるということだ。
〈1995年1月〉