【演奏篇①】すべては中学校の音楽室から始まった

〈どの街にも学校があり、教師と生徒がいる。あとは情熱さえあれば最初から純粋なオーケストラ編成でなくても、その途上それぞれの時点で最善の音楽をやれば、いつか道は開けるはずだ。〉

 前回で「森下元康のアマチュアオーケストラ活動論」全10回の本論が完結しました。ご愛読いただき心から感謝申し上げます。

 森下元康は、ここに連載した独自の活動理念を掲げ、生涯にわたりアマチュアオーケストラ活動を力強く牽引しました。その活動史は、「友達が欲しければ自分でつくる、ドラマが欲しければ自分で演出する」という自身の信条通りに、多くの物語を創り続け、多彩な登場人物を描きだしました。
 また、そうした活動の牽引者であると同時に、アマチュアの指揮者としても「豊橋交響楽団」や、JAOのフェスティバル、TYOCなどでメッセージを発信しながらタクトを振り、独自のサウンドを創りあげました。
 そこで今回からは【演奏篇】としまして、森下元康が様々な場面で指揮した演奏を7回にわたって、折々の物語とともにお届けしたいと思います。

ロッシーニ:歌劇「アルジェのイタリア女」序曲
 指揮:森下 元康
 豊橋市立羽田中学校 リードオーケストラ部
 NHK全国学校器楽合奏コンクール(1962年)

ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
 指揮:森下 元康
 豊橋市立羽田中学校 リードオーケストラ部
 NHK全国学校器楽合奏コンクール(1964年)

 森下元康の活動は、国語教師として赴任した中学校に器楽合奏クラブを結成することから始まります。
 まだまだ日本全体が貧しかった時代、蛇腹に穴のあいたアコーディオンやハーモニカなど粗末な楽器をかき集め、クラシック音楽など聴いたこともない子供たちと一緒に音楽創りを始めます。物が足らない分は情熱で補いました。相手が中学生だからと決して妥協することなく、一年中休みなしで猛練習を続け、青年教師と生徒たちは濃密な時間を過ごします。生徒たちと一喜一憂した15年間のコンクールの物語は、その後50年にわたる森下の活動の幕開けでもありました。

 クラブ活動時代を森下はこう回想しています。
 「こんな風潮の世の中では、思考も思想も概念も空想もすべて典型化され類型化されて、精神的に一種のミニチュアのようになった生徒たちに、何が尊く真実で価値があるのかを教えることこそ、教師にとって一番の急務であろう。
 私が三年間手を取って教えてきた生徒たち、クラブにとって草分けの生徒たち、ある時は寝物語に音楽の厳しさや、楽しさについて話し合った生徒たち、私に“真実の価値あるものを教える”ことが、どれほど大切かを教えてくれた生徒たちは去って行く。私はあえて言おう。君たちはこの三年間で充実した学校生活と、最高の文化生活を送ったのだと。キラキラ光る電気製品や居心地のよいソファにうずもれた文化生活と称するものでは得られない文化生活を。
 そして私はいつまでも君たちの教えてくれたものを守り、頑丈な河床となって、次々と流れゆく君たちの後輩をしっかりと支え、音楽を通じて真実の価値あるものを、その子たちと貪欲に探す努力を惜しまぬことを誓いたい。」

 今回の曲は、青年教師と中学生たちが創りあげた物語の結晶、結成2年目に初めて参加したコンクールで全国優勝を果たした演奏と、その2年後のコンクールでの快演をお届けします。拙い演奏ですが、森下元康の音楽活動の原点がここにあります。
(当時のコンクールでは、演奏人数、演奏時間、使用楽器などが細かく規定されていたため、大幅な編曲がされていることをご了承ください。)

ロッシーニ:歌劇「アルジェのイタリア女」序曲

ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲