【跋文】いまなぜ森下元康なのか
〈文化というものは、それに志向して立ち向かっていくプロセスそのものが大切だということを、強く感じない訳にはいきません。〉
森下元康先生が物故されて既に十余年が経とうとしていますが、その人柄を懐かしむ声はあとを絶ちません。指揮棒を片手に怒鳴り、グラスを片手に吠え、そして無類のやさしさで人を思いやり励まし続けた森下元康という存在は、まことに不可思議かつユニークなリーダーでした。あたかも命を燃焼させるような、あの苦しいほどの情熱は一体どこから湧き、どこへ流れようとしていたのでしょうか。なぜあんなにも魂の打点が高かったのでしょうか。若者たちに夢と憧れを語り、そしてささやかな祈りはやがて大きな運動のうねりを創りだし、地方都市から世界へと文化を発信し続けました。
皆様のご助力をいただき、連載はここに最終回を迎えることができました。
この連載の趣旨は、森下元康という人物を懐かしみ称揚することではなく、逝去から既に十年以上の時を刻む中で、ここに記された活動論は現在も変わらず正鵠(せいこく)を得るものなのか、もはや時代錯誤の所産であるのか、あるいは現代流にアレンジをする必要があるのか、改めてその真贋(しんがん)を問い直す時期の訪れを予見しての企画でした。
森下先生は日本のアマチュアオーケストラ活動史に、新たな地平を拓きました。それはアマチュアオーケストラを、趣味や自己顕示の場としての「余暇を楽しむ同好の集まり」を超克した、人格の陶冶(とうや)、人間性の完成への秩序を求めた「社会的中間共同体」へと導いたことでした。明確な目的と理念を掲げた「活動」としての基軸を唱え続けましたが、それは決して従来の概念や価値観との優劣や正否を論じるものではなく、新たな活動形態への一試論でした。
最終回に掲載した“ラスト・メッセージ”の論旨、「私たちは次にどこへ行けばいいのでしょうか?」という問いかけは、今も私たちの現実に痛切に響きます。
かつてこの道を切り拓いた森下先生の遺稿を集約したこの連載が、活動の源泉や生きることの機軸を再確認する機会となり、そして次の世代、さらに次の世代へと伝え続ける橋渡しの一助となることを切に願い、連載を脱稿いたします。
ご協力いただきました関係各位に深く御礼申し上げます。就中、秀逸な英訳をしていただいた小野彩子氏には感謝の念に堪えません。そしてご愛読いただきました皆様に心から御礼申し上げます。
「この響きよ、無方に散らばれ。」
2021年7月24日
編纂責任者
羽田野 良裕(NPO-WFAO 理事)