【演奏篇⑤】青少年への情熱、JAOの活動展開

〈今までジュニア部門は付属的な存在でしたが、今回からは青少年としての自立意識をもちましょう。なぜなら、日本のアマチュアオーケストラの将来は、諸君の手に握られているのですから。〉

 国内の青少年オーケストラ増加に伴い、JAOフェスティバルでもジュニア部門が設けられ始めていました。なかでも、現在のTYOCにもつながる重要な大会となったのが、1981年の「習志野大会」で、森下がジュニアオーケストラの指揮をしました。
 全国から集った156名の若者たちに森下は開口一番、「君たちが将来、日本の文化を支えていくんだ!」と檄をとばし、参加者一同は大きな衝撃を受けます。そして森下と若者たちは二日間で情熱的なオーケストラ創りを体験し、本番を終えたステージでは互いに手を取り合って涙を流しました。美しい涙を讃える拍手はいつまでも鳴り止みませんでした。この時、若者たちは自分たちで創りあげた“感動”というものを、初めて手に入れたのでした。
 森下は後日、参加した若者たちに手紙を贈りました。

 あの「習志野大会」から、もう一か月たちました。
 あと一時間くらいで本番というときに、私が諸君に言ったことを覚えているでしょうか。つまり、諸君はここで青少年オーケストラをやりに集まったのではなく、この大会の体験を通じて、地元のオーケストラをもう一度見直し、その中で新しい覚悟をもって努力をしてもらうために集ったのだと。さらに近い将来、日本のアマチュアオーケストラは諸君が背負っていくのだとも。
 きっとその後、それぞれ地元のオーケストラで新しい活動に入っていることと思います。どうか受験やその他、悩み多き青春時代のまっただ中にいる諸君が、あらゆる障害をのり越えて、一生誇りのもてる文化活動として、オーケストラを続けていってください。

リスト:「ハンガリー狂詩曲」第2番
 指揮:森下 元康
 JAOフェスティバル・ジュニアオーケストラ
 第9回全国アマチュアオーケストラフェスティバル「習志野大会」
 (1981年7月26日)

 この体験が契機となり、全国の青少年たちから寄せられた「もっと長い時間を仲間たちと共有したい」という嘆願に森下が応え、その3年後にはTYOCの開催が実現します。TYOCはその後現在まで継続して開催され、森下と青少年たちはさらに大きな物語を展開させてゆきます。

 今回の演奏は、この“伝説の習志野大会”、ジュニアオーケストラの熱演をお聴きください。