【第6回】TYOC参加者へのメッセージ・青少年のための活動論②

〈音楽の技術を磨く前に大切なこと、それは、オーケストラは人が集まることを芸術に高めたものだということを体で知ってほしいのです。〉

 このTYOCに、本当に強い目的意識を持って参加している人は意外に少ないのではないのでしょうか。音楽技術の向上がTYOCの目的であることは確かだけれど、“やらされている音楽”を“自ら求めていく音楽”にしていく、つまり音楽活動をもっともっと自分の意志としてとらえていくことが一番大切なことなのです。
 音楽の厳しい練習は単に『音楽技術の向上』だけのためにあるのではなく、それに耐え得る勁(つよ)い自分を発見したり、困っている仲間の手助けをしてあげる優しさを見出だしたり、学び成長しようとする灼(や)けつくような衝動を感じたりしてほしいのです。そう、このTYOCの標的はまさしくあなた自身なのです。
〈1994年3月〉

 音楽の技術を磨く前に大切なこと、それは、オーケストラは人が集まることを芸術に高めたものだということを体で知ってほしいのです。そして、周囲の人々に対する感謝の気持ちも。
〈1987年3月〉

 日本のアマチュアオーケストラ活動の諸条件は地域によってずいぶん格差があります。君たちの先生方は不満も言わずに、その土地での最善を尽くしてきました。君たちの先生や先輩に共通するのは、オーケストラに対する情熱ばかりでなく、自分の内に秘めた『勁(つよ)さ』なのです。
 オーケストラのアンサンブルは、ある意味では奉仕と自己犠牲の連続です。そのことを知ることが、実はこのTYOCの成果をあげるための最善の近道なのだと思います。
〈2007年3月〉

 人は集団に所属しないと不安になります。しかし集団の中の自分が本当の自分なのかどうか確信が持てません。挫折も孤独もつらいものではありますが、それゆえに自己を鍛える特訓マシーンに変わるかも知れません。世の中にはいろいろな価値観があり、金銭や地位といったありふれたものをはじめ、曇ったレンズで物を見る傾向がありますが、そうしたことにまぎれずに、自分の魂のあるべき場所を常に確認しましょう。
 このTYOCが君たちの音楽意欲を刺激するものだけでなく、青春時代から今後の人生に向ける強いまなざしの成長に役立つように。そして君たちの存在や活動が、君たちを支援する私たち大人の誇りと希望であることも忘れずに。
〈1998年3月〉

 私はこのTYOCで、一般に言われるような無気力で礼儀知らずの若者を一度も見たことはありません。「クラシック音楽を志しているような子はやはり教養のレベルが違うね」と私の周囲の人は言いますが、君たちがそんなに選ばれた子たちとも思えません。ひとつ心当たりがあります。それは、よい目的を持った集団は、集団それ自体に教育力があるということです。
 集まってくることの楽しさ、集まって協同していくことの楽しさ、美しい音楽を創造していくことの楽しさ、自分の力を知り努力目標を設定できる楽しさ、いやこれはすべて苦しさと言い換えてもよいでしょう。音楽は楽しいものだけでなく、自分の心の真実を突き付けられるものでもあります。
〈1999年3月〉

 日本は狭いようでも広く、音楽的にいえば恵まれ方にかなりの差異があります。そのような地理的環境的な差と、もっと恐ろしいのは、自分が音楽的にある程度技術と知識を身につけているという誤った自信に気づいていない、精神的な荒地にいつの間にか住んでいることです。
 オーケストラというものは、一人ひとりが気まぐれな自由や個性を、ある程度おさえコントーロールすることから始まります。それは不自由であり愉快なことではありません。しかし、そのことによって自分というよく知っているはずの存在が、多くの仲間という鏡に反射して別の自分が見えてきます。
 TYOCの隠された最大の目的、それがセルフ・コントロールつきの自己制御法を身につけることにあります。そして少し大人になった君が故郷に帰っていった後、君の周囲に微妙なさざ波が立つことでしょう。
〈2005年3月〉