【第3回】アマチュアオーケストラ活動・文化活動論③

〈アマチュアオーケストラの“技術の向上”は、“自団特有の響き”を探求するための手段として考えられるべきである。〉

 アマチュアオーケストラの“技術の向上”は、従来のように“プロオーケストラのような音”を志向するのではなく、“自団特有の響き”を探求するための手段として考えられるべきである。
 アマチュアにとって、現在未熟であることはさして問題ではない。もっとも重要なことは、将来どういうレベルに達するべきなのかという“見通し”をもっているということであり、そのオーケストラでなければ出せない、固有名詞的アンサンブルのあり方を決めることである。
〈1980年11月〉

 音楽を自ら体験することの喜びと、人に感動を与えたいという衝動はどんな時代においても虚しいものであるはずがない。それは自分が生きていることの意味にまで遡ってくる重要な問題だからである。様々な時代へのとらえ方がしきりに言われている現代は、とかく自分のスタンディングポジションを見失いがちであるし、強力なリーダーも輩出してきにくい。最も困るのは“最善の方法は常にない”という事である。奔流のごとき情報社会の中にあって、私たちアマチュアオーケストラの現場に携わる人間が、どこまで澄明な感覚と意識を持続できるだろうか。
 今後求められるのは、自立した市民または公民としての文化団体である。そうした意味からも、常に活動の本拠地であるその街の土や風になじまない活動方針であってはならない。なぜなら、その土地の人々にとって必要でない存在なら、そのアマチュアオーケストラのアイデンティティも無いのだから。
〈1986年3月〉

 今、アマチュアオーケストラが必要としている人材は、思惟(しい)的に自分の活動を捉え、次の展望を創り出していく人物である。よしんばその人の音楽的技術が低くとも、そうしたコンステレーションの中での存在を意識する人は、技術の向上は時間の問題なのだから。
〈1980年3月〉

 日本のアマチュアオーケストラの数は既に乱立状態としか言いようのない現在、さらに数だけ増えたところで文化水準が上がったなどとどうして言えようか。少し立ち止まって考えてみたい。「いつの間にか危うい淵の傍らを走っているのではないか」という危惧を抱くのは私だけであろうか。確かにアマチュアオーケストラ活動の最盛期に突入したことは認めるとしても、それは“広がった”のであって“深まった”こととは程遠い情況なのではあるまいか。
 私たちアマチュアオーケストラに関わる者は、日頃つらく苦しいことが多く、それゆえに視野が狭く独善的になりやすい体質を持っている。歓びや矜恃もあるかたわら、自己完結を性急に望む傾向がある。言い換えれば私たちアマチュアオーケストラの本当の不幸は、自分たちの努力や情熱が砂上の楼閣のように見えたり、メビウスの輪に入り込んだのではないだろうかと感じることである。
 文化活動が、あるときは周囲に迎合しなければならないような情況に立ちいたっても、指導者と団員が本来あるべき自団の姿さえ見失わなければよいのだ。練習に明け暮れているうちに、こうしたものの見かた考えかたという土壌が痩せ衰え、独善の沼に足を取られる。
 多数の人間が協調してこそのオーケストラである。だからこそリーダーをはじめメンバーの一人ひとりが柔らかな心で対話でき、日本という国の視点で自分たちをとらえ、拙速主義を排し、土を手ですくい取るように故郷を愛し、産土神の子らの祭りのような、そんな仲間でありたい。
〈1987年3月〉

 1990年代の終わり頃から日本のアマチュアオーケストラの演奏技術は非常に高くなって、「爛熟期」に入ってきました。いまや演奏される曲目は、びっくりするような曲ばかりです。そんな中、私たちは次にどこへ行けばいいのでしょうか。どうすればもっと高みから、さらに深いところからアンサンブルが響き渡ることができるのか。大事なことは、一度立ち止まって「私たちはいま何をやっているのだろう?」と、ゆっくり考えてみることだと思います。
 私は次の段階を目指して「プロとアマチュアとの境界線はどこにあるのだろう」と、一生懸命自問自答しました。私たちはいよいよ非常に自省的な、内面的な事に取り組む時期が来たと思います。単に演奏するだけではなく、それが自分の身体や精神の中でどのように作用しているのかを、常に確かめていく。そうなるともうプロもアマチュアも、多分垣根がなくなると思います。アマチュアだって職人(アルチザン artisan)でいいと思うのです。職人みたいに一生懸命音楽を勉強して、そして自分たちのオーケストラの音を持つ。その職人の中でも魂がある、自分たちで自省をして伸びようという向上心を持つ、『魂』を持つ存在でありたいものです。
〈2010年1月〉