【第1回】アマチュアオーケストラ活動・文化活動論①
〈演奏は音ではない。演奏とは音楽の精神をとらえるための、ひとつの方法である。〉
【第2回】アマチュアオーケストラ活動・文化活動論②
〈幾星霜を経てきたクラシックの作品群の中に、哲学書にも書かれていない人生の真理を将来青少年が読み取るために、私たちはささやかな努力をしている。〉
【第3回】アマチュアオーケストラ活動・文化活動論③
〈アマチュアオーケストラの“技術の向上”は、“自団特有の響き”を探求するための手段として考えられるべきである。〉
【第4回】日本アマチュアオーケストラ連盟(JAO)活動論
〈JAOは青少年から高齢者までのライフサイクルをカバーし、生涯教育の基盤が整いました。〉
【特別篇】新たな年にむけて、そして新たな地平へ
〈日常生活のパラダイム(規範)の中で、人々は時として“渇き”を感じる。おどろおどろしい極彩色の現代、この“渇き”こそが色褪せた日常を突破できるエネルギー源である。〉
【第5回】TYOC参加者へのメッセージ・青少年のための活動論①
〈美しい心のアンサンブルを目指すことこそが、次の世紀の文明を創りあげる鍵なのです。〉
【第6回】TYOC参加者へのメッセージ・青少年のための活動論②
〈音楽の技術を磨く前に大切なこと、それは、オーケストラは人が集まることを芸術に高めたものだということを体で知ってほしいのです。〉
【第7回】音楽論・藝術論・随想
〈私たちは自由に音楽というタイムトラベル可能の船で旅ができる。〉
【第8回】国際交流活動論①
〈言語も人種も地理も乗り越え、楽譜と楽器さえあればすぐ仲間や友達としての関係を結ぶことができる。国際交流のリテラシーとして、オーケストラにまさるものはない。〉
【第9回】国際交流活動論②
〈地球が球体であることが、私たち人間が互いにどのように結び付いていくべきなのかの、ヒントを与えてくれるような気がします。〉
【第10回】国際交流活動論③
〈仲間と共鳴したいという人間的音楽的なつながりによって、地球は優しく暖かい曲を交響させることでしょう。〉
【演奏篇①】すべては中学校の音楽室から始まった
〈どの街にも学校があり、教師と生徒がいる。あとは情熱さえあれば最初から純粋なオーケストラ編成でなくても、その途上それぞれの時点で最善の音楽をやれば、いつか道は開けるはずだ。〉
【演奏篇②】クラブのOBを集め、市民オーケストラ結成
〈クラブ活動から社会人の文化活動へといっても、現実にはそう簡単なものではありませんでした。人を集めること、集まった人々と別れないようにすること。結局私のオーケストラ活動とはそういうものでした。〉
【演奏篇③】ヴァイオリン神話への挑戦
〈豊橋交響楽団は信じられないほど恵まれた誕生をしました。周囲の人や豊橋という地域社会が、どこまでこのオーケストラに手をかけて育ててくれるか、それは私たち当事者の誇りと感謝の気持ちにかかっています。〉
【演奏篇④】JAOの仲間とともに、音の泉の広がりを
〈共通の悩みを持った者同志が語り合い、励まし合うことによって、増々それぞれの地域文化に貢献することを念願して、このフェスティバルは開催されます。〉
【演奏篇⑤】青少年への情熱、JAOの活動展開
〈今まで青少年部門は付属的な存在でしたが、今回からは青少年としての自立意識をもちましょう。なぜなら、日本のアマチュアオーケストラの将来は、諸君の手に握られているのですから。〉
【演奏篇⑥】森下元康&豊橋交響楽団のサウンド
〈上手くなるための練習であることはもちろんだが、練習自体が“苦しい楽しさ”に彩られるにはどうすればよいか。厳しい注意を逆に心待ちして、いつでも明るい解釈のできるオーケストラ。それが達成されてこそ、一人前の市民オーケストラになるのです。〉
【演奏篇⑦】夢幻・典雅・情熱
〈“願い”では弱く、“祈り”でも物足りない、誰にも頼まれもしないこのような文化活動が豊橋の地に根付くのは、一体何度の冬を重ねなければならぬのだろう。〉
【エピローグ】ラスト・メッセージ
〈私たちはいよいよ非常に自省的な、内面的な事に取り組む時期が来たと思います。〉
【跋文】いまなぜ森下元康なのか
〈文化というものは、それに志向して立ち向かっていくプロセスそのものが大切だということを、強く感じない訳にはいきません。〉