【演奏篇⑦】夢幻・典雅・情熱

〈“願い”では弱く、“祈り”でも物足りない、誰にも頼まれもしないこのような文化活動が豊橋の地に根付くのは、一体何度の冬を重ねなければならぬのだろう。〉

 音楽評論家の西村弘治氏は、森下の活動をこう評しています。
 豊橋交響楽団から、現代の地方文化というものに一つの答えが出せるのではないかと思う。それは伝統もなにもないところから、自分たちの力で培ってきた心の糧といったらいいだろうか。そういうものが日本にはなさすぎる。それを生み出すのは必ずしも才能や財力ではなくて、思想や情熱なのだが、私たち日本人は出世主義や経済成長などの奴隷によって、何か自分たち自身のものを生み出す思想も情熱も捨ててしまいがちだ。しかし豊橋ではオーケストラの音楽としてそれが息づいている。その鼓動を私はしかと自分の耳で確かめたい。

 「私は豊橋にオーケストラの出来る日を夢見ているものの一人である。きっと今の教え子たちが育って、私の夢を夢でなくしてくれる事を信じて、今日も粗末な音楽室へ足を運ぶのである。」と、夢物語を記してから50年、森下元康が描く物語は多くの登場人物を巻きこみながら広がり続けていきました。そしてNPO-WFAOを設立し、アジアから発信する“地球の交響”を夢みたところで、物語は絶筆となりました。まだまだ溢れるほどの構想がありました。まだまだ道半ばでした…。

 最後に、48歳の森下が詠んだ詩片を紹介します。「さあ、一緒に進もう」という力強い声が、行間から聴こえてくるような気がします。
 もっと広く、もっと深く、私たちは物語の続きを紡ぎだしていかなければなりません。

つらいことばかりでもなく
そうかと言って 楽しいことばかりでもなく
ひたすら今日まで登りつめてきた私たち
自分のしていることを疑い 悩み 時には背を向け
そうしたとりとめもない心のかけらが
あちこちで小さな風を起こしたのも
今はなつかしい
新しい旅立ちには何がいるのでしょう
見はるかす地平線のかなたへ
第一歩が再び踏み出されようとしています

ショーソン:「詩曲」
 ヴァイオリン独奏:松本 茂
 指揮:森下 元康
 豊橋交響楽団
 第43回定期公演(1988年10月9日)

 【演奏篇】の最終回は、豊橋交響楽団のヴァイオリン・ヴィオラ奏者たちを育てあげた、松本茂氏との協演です。
 森下は公演のプラグラムにこう記しています。
 ショーソンの「詩曲」を、私は松本茂という品位ある名手に巡り合い開眼させられた。品位も典雅も崇高も字に書けば簡単だが、いかなる富や権力によっても手に入れ難い。この20分足らずの曲の中に、私は何度も閃光のようにきらめく情熱と静かな祈り、時に優しさや人生の測々たる風情を感じる。そうだ、この「詩曲」こそ走馬燈のごとき人の一生なのかも知れない。暗く静謐の中に閉じられていく人生の最後にも、至福のPPで鳴る長調の清澄な和音があった。

 豊橋交響楽団をともに創りあげた二人の、信頼と友情に溢れた演奏です。